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私とLPB 第20回

(この記事は、2019年6月12日にメルマガで配信されました。)
第20回目はルネサスエレクトロニクス(株)の田中さんです。では、田中さんよろしくお願いします。

 みなさん、こんにちは、ルネサスエレクトロニクスの田中と申します。今回
は私のLPBとの関わりを少しお話しさせていただきます。

 LPB というと何を思い浮かべますか?これまでこのメールマガジンを読んで
いただいている皆さんにも LPB の言葉は浸透しつつあるでしょう。ただ旅行
好きの私は、天空の鏡と呼ばれるウユニ塩湖がある南米ボリビアのラパスの
空港コード(3 letter code)を今でも思い浮かべます(笑)。4000mを超える世界一
標高が高い所にある空港です。私がLSI-パッケージ-ボードのLPBと関わる
前に行った際にはまだ日本ではそれほど有名ではなく、田舎町の空港でした。
2010年にボリビアを訪れた日本人は5464人程度でしたが、2016年で16212人と3倍
に増加しているようです(出典:JNTOデータ)。綺麗な所ですのでご存じない方は
ググってみて下さい。

 前置きが長くなりましたが,本題の私とLPBとの関わりについて、最初の接点は
2012年に遡ります。すでに日本国内でLPB V2.0 を開発していた頃に、私がJEITA
のEDA関連の委員会の標準化を担当するようになった時が初めての出会いです。
EDAの標準は米国産が多い中、日本産のLPBを国際標準にしようとしていた頃です。
前任者からは IEEE との I/F を担当し IEEE 標準を議論する業務であると引き
継ぎました。確かに IEEE 標準の議論の業務でしたが、米国発の標準を議論する
ことよりも、LPBを IEEE 標準にするための議論, IEEE との I/F が活動の大きな
割合を占めているというものでした。それから 2015年に IEEE 化を実現するまで
以下のような活動を日本のLPBメンバと行ってきました。
1) IEEE のキーマンの強力なサポートの確約(2012年)
2) 日本だけでなく 米国の関連するメンバのWG参加の募集, 実現(2013年)
3) IEEE でのLPB のWGを設置実現(2014年)
4) LPB の IEEE 標準化実現(2015年)
5) IEEE 標準の IEC 展開(2016年)
6) IEEE 標準の改訂 (2020年に向けて)
LPB 関連のメンバの多大な努力のおかげで私自身は何も努力することなく、標準
化が順調に進んだ印象です。LPB関連メンバ皆さんのご協力に感謝いたします。

 標準化は目的ではなく手段です。大上段に振りかぶると半導体産業発展が目的
です。LPB をコアとしたエコシステムの構築という大目標もありますので、今後
情報発信をすることで如何に仲間作りをしてエコシステムを作るか、ということが
課題となってきます。今後は現在LPBがカバーしている範囲での深掘り、および、
カバー範囲の拡張 の両面で進めていく必要がありますので、読者皆さんのご協力
が不可欠です。ボリビアの旅行者が増えている理由の1つはウユニ塩湖などの情報
提供を推進し、情報共有が進んでいることもあります。LPB についてもシステム
レベル設計者など含め情報共有を進めエコシステムを作り、ひいては皆さんが関
わっている産業発展を実現していきましょう!!

ルネサスエレクトロニクス田中

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